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大阪府箕面市のシェア・フラット「田田庵」のブログ。

臆病者の辯證法

まづ、一応対処済みとのことで、警察への通報などは必要ありません

虐待の瞬間を捉えた映像。どういう経緯でか Facebook で僕のところまでシェアされてきました。コメントの伸びが異常です。みんな関心あるのでしょうね。

反応は様々です。「こんな母親許せない。死ねばいいのに!」「この母親だって被害者なんですね、母娘ともにかわいそう。早く心身共にケアしてあげないと…」「この女まぢ狂ってる。さっさと精神科医行かせろよ!」「っていうか投稿者なんでカメラなんて回してるの?そんな暇あったら助けに行けよ!俺(あたし)なら助けに行ったし(キリッ」「投稿者の行為は勇気あるもので、非難するのはおかしい。」「この投稿は母親をもっと追い詰める可能性のあるもので、プライバシーの侵害でもあるし、即刻削除すべき。シェアなんてするべきじゃない」などなど。母親を攻撃するもの、母親を気遣うもの、投稿者を責めるもの、投稿者を擁護するもの、投稿そのものを責めるもの、色んなコメントが飛び交ってます。

この母親が何かしら問題・困難を抱えているのは明らかで、虐待は許されざることであることも明らかです。ですので「行動を起こす」という点に注目してみたいと思います。

コメントだと「正論」(「助けに入る」)言う人結構いるんですけど、そういう人でも現場に居合わせたら硬直すると思うんですよね。この映像でもわかりますが、けっこうの人が見ながら通り過ぎてます。それって、「日本人だから」とか「勇気が無いから」とかなんとか言ってる人もいるんですけど、そんな意識持ちながら行為してる人なんてフツーいないですよね。多分みんなどうしていいかわかんないんですよ。なにかまずいことが起こっているのはわかるけど、だれあろう自分が行動を起こす理由がない、ということなんだと思います。それって、「人はそれぞれ」っていう価値観のあらわれなんじゃないかな。つまり、自分が止めに入るとしてそれって別の価値観持ってる人にとっては自分が間違ってるってことになるのではないか、っていう意識が躊躇させるのではないかと。ある程度考えを固めてる場合でないと行動に移すのって難しいって考える人が多いんじゃないかな。(Erst denken, dann handeln. なんていう言葉もありますね。「まず思考し、しかるのち実行せよ」。これを逆にできる人はまれだと思います。Erst handeln, dann denken. )

僕も最近「一気コール」連発するグループのとなりにいながら、直接注意することははばかられました。(一応店の人に、「一気」は下手したらまずいことになりますよ、と言いましたけど店の人は特に対応せず、僕もそれ以上何もせず、でした。)でも「一気」って常識的に考えれば止めるべき行為ですよね。「一気」させられてる人は急性アルコール中毒になるかもしれないわけで。それを僕は結局「見て見ぬフリ」したわけです。衝突するかもしれない、と躊躇したのです。それって「『一気』は、これをとめるべし」っていった規範が一般化してないから生じる躊躇なんですよね。僕も所詮 Erst denken, dann handeln 型の人間なのかもしれません。

行動する前に躊躇する、考えてからでないと行動できない、これっていい面もあるかもしれないけど、行動が必要だって時はやっぱり障碍になりますね。人と衝突するかもしれない、なんてことが行動するかどうかに関与するのって臆病者の発想なんでしょうし。

(先の「勇気がない」とつながってしまいそうですね。でもそれでいうなら「勇気のない」人がほとんどでしょう。「勇気のない人」でも「正しい」ことができるように環境を整えるということが必要なんだと思います。「勇気持たないと」なんて言っててもダメ、ってことだと思います。そのために「あなたならどうしますか」って考えを促すことも必要だと思います。)

で、「臆病者」の僕としては、衝突するのもまた一興じゃないか、と思考しておきたいわけです。衝突して自分が間違ってたとなったら謝ればいいのだ、って。(もちろん刺されたくないので、そんな場合は警察に通報する、と条件は付けておかないといけませんが。それも「臆病」。)つまり、「まづ行為せよ、しかるのち考える可し」という発想を自分に内面化するにあたってまづこのように考えておきたい、というわけです。(臆病を克服するのに臆病さを役立てる、辯證法だなぁ。)

(Tizio GIACOMOTTI)