読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

escargologie

大阪府箕面市のシェア・フラット「田田庵」のブログ。

目的は手段を神聖ならしむるか

序の如きもの。

「目的は手段を神聖ならしむるか」、この、ある種古く、使いまわされた定式について今新たに考へ直すこと、これが本論の主題である。この定式を言ひ直して「理念は犠牲を正当化するか」といふ風にしてもいいかもしれないが、然うすると余計なニュアンスが加はると思はれる。つまり、「ある理念のためにどれだけの犠牲が許容されうるか」といつたことは我々の関心ではない。冒頭は文字通り、手段としての犠牲が神聖なるものとして、即ちある意味で善きものと成る、ということを考えている。すなわちここで我々は、ザラツストラに倣って、特定の理念に基づく手段の価値判断を拒否するのだ。

なんぢらは言ふ、――善き理由は戰爭をすら神聖ならしむる、と。しかし、我は言ふ、――よき戰爭はいかなる理由をも神聖ならしむる、と。(『ザラツストラかく語りき』第一部、「戰爭と戰士とについて」より。)

ニーチェの翻訳者である竹山道雄はここに注を付して、「これらの言葉が純粋に精神的領域に於ける闘爭に関してのみ言はれたのか、あるひは現実の戰爭に関して言はれたのか」といふ問題を提示する。竹山自身は、「にはかには決め難い」として判断を留保しつつも、ニーチェ自身は寧ろ「高貴な意義」即ち精神的な意義に於いて主張してゐるのだと理解して居る様である。(竹山は明らかには言はぬが、「高貴な意義」という言葉において現実の戰爭を排していることから、そう推察しても可であらう。)然し同時に、この言葉を綴るニーチェの思想が孕む所の「恐るべく破壊的な」影響は竹山も
「現実の事実として否定できない」と認めている。

所でここに言ふニーチェの破壊的影響とは一體何であらうか。竹山の意図する所をここで断定的に述ぶることは適わないが、それが恐らくナチス・ドイツのニーチェ受容であること、そしてナチス(民族社会主義政党)の引き起こしたる所の二十世紀の抱えるトラウマのことだと推測することは許されよう。そうした場合、注目すべき人物として挙げられるのは、先の引用がおさめられている章 “Vom Krieg und Kriegsvolke.” と相似た題名をもつ1930年発行の論集Krieg und Krieger の編者であったエルンスト・ユンガーその人である。

ユンガーは、『戰爭と戰士』に寄せた論文「總動員」において「總動員 die totale Mobilmachung」という概念の意義を強調している。戰場を、戰士達の流血を消費し尽す為の鍛冶場とし、總動員體制を、流血を燃料とするタービンによって駆動するこの鍛冶場を維持する物として理解したうえで、この犠牲が招来する所の来るべき文化的統一の意義を語るユンガーこそは、恐らく、先の引用のもっとも破壊的な受容者であろう。ユンガーの見る世界に於いては誰もがこの鍛冶場作業、つまり勞働の場としての戰爭態勢に叅與する「勞働者」でありすべてが戰爭狀態維持の爲の物と成る。即ち、「勞働者の戰爭」が持続される。

1928年に『忘れえぬ人々』といふ、自身も叅戰した第一次戰爭において殉死していつた者達の爲の追悼論集編者でもあつたユンガーからすれば、第一次戦争における夥しい数の兵士達の死霊が、思索において常に念頭にあつたとしても不思議ではない。実際、その論集全体の前書きでユンガーが追悼するにあたつて問題とするのは、犠牲をいかにして正当に評価するか、といふことであつたのだが、この問題意識は後の1930年の論文「総動員」、そして1932年の主著『労働者;支配と形態』にまで引き継がれて居るのだ。

死霊のこの真剣な行進に接することを通じて、躊躇うことなしにこの樣な犠牲を要求し得たあのいつそう高次の生を、誰が想起しないで居れるだらうか。(『忘れ得ぬ人々』前書より)

播き散らされたこれら不朽の種籾の為に、たとひ人間の声が沈黙したとしても、いつの日か花と実が證言することにならう。(前掲書後書より。)

このように書くユンガーが後に著すことになる『勞働者』こそは、犠牲の尊さを形而上学的な次元において把捉せんとする思索であり、まさに、戰没者によって蒔かれた種子の芽吹きを見、「花と実」の證言を先取りせんとする試みである。そしてその形而上学的な次元とは、総動員なる體制を、来るべき文化的統一の完成過程として捉える次元であり、戰没者は、犠牲であると同時に斯うした形而上学的世界の最高度の叅與者であって、勝利者である。戰爭に勇敢に叅與したことで永遠の生を獲得して居るのである。

『労働者』といふ著書において主張されるのは、「労働者der Arbeiter」といふ現代における「戦士」的類型が、それ以外の類型特に「市民」を圧倒する、ということであるが、ユンガー言ふ所の戦争はここにこそ有る。ドイツ・フランス間、ドイツ・ヨーロッパ間などといった民族間、国家間で戦争が起こるといふのは、『労働者』の著者によればあまり正確ではない。そうではなくて、ユンガー言ふ所の「労働者」といふ類型と、「市民」といった近代民主主義的な類型との間で戦争は起こる。即ち、総動員といふ形而上学を内面化したる人種と、近代的個人主義を内面化したる人種との間で起こるのだ。その戦争において、「労働者」が勝利する必然性を描く、これが『労働者』の趣旨である。

所で総動員といふ体制を布くのは当時において独逸だけではなかった。ユンガーはまさにその點において、ある種のインターナショナル的連帯を構想している。國際的な市民の連帯ではなく、戦士としての労働者の国際的連帯。つまり、同じ総動員的戦争に叅與して居るといふことによる「勞働者」の連帯である。

今の所、このように主張しているユンガーとニーチェとを結びつけるテクスト的な根拠を筆者は発見していない。ただ、ユンガー的な世界観との関連において私の興味を強く惹くのは、次のように述べるニーチェであり、その思想的背景である。

我大いなる吟味をして問ふ、誰ぞ永劫回帰の思想に耐ふやと。「救済など有り得ず」といふ命題で以て滅せらるべき者誰であれ死滅すべし。我欲するは戰爭也、その様々において生命闊達なる者達がその他を追放する所の戰爭をこそ。この問ひこそは、あらゆる絆を解消し、世界に倦みたる者どもを追ひ詰めるに違ひない。[要するに]汝ら須らくこの者等を追ひ詰め、いかなる軽蔑をも以て浴びせかけ、或いは癲狂病院に閉じ込め、絶望させ等々すべし。(『生成の無垢』下巻より。1401番。[]は筆者補足。補足は以下同様にする。)

ツァラトゥストラを第二部においては士師として[描く]。公正なる物を荘厳なる手続にて啓示すること。この公正こそは、当に形成者建立者滅者たるべし。([この公正は]次の事を以て自ら暴露さる、即ち、不意に突然に、裁く者たることの本質が認識さるる事を以て。)(前掲部。1402番。)

ツァラトゥストラ須らく彼の弟子達[即ち若者達]を鼓舞して地球征服をさすべし。[これこそ]最高度の危険、勝利における最高度の類。彼ら[若者達]の全き道徳は一つの戰爭的道徳、即ち無制限に勝利せんと欲するといふ[道徳]。(前掲部。1403番。)

良き種と悪しき種とを峻別せんと吟味をし、裁く。斯うしたプログラムにおいて歴史を捉へんとするはユンガー、ニーチェ両者に共通すると言へるのかもしれない。

所でユンガーは第二次世界大戦ドイツ敗戦直前期の1944年夏に書き上げられた『平和』の中で述べる。貫徹されたる戦争、或いは、諸国家の民族国家としての徹底的な敗北こそが必要である。戦争を終わらせるべきは平和であるが、その為の歴史的行為として戦争を裁く際には、既に吟味され選り分けられたる所の良き種を世界統一(世界平和)のための模範としつつ、劣悪な種を絶つべきであり、このことが出来る裁判官が在らねばならない。こう述ぶるユンガーは、両大戦について世界戦争、ユンガー望まくは「世界内戦」「世界統一戦争」、これを世界平和の為の或る種の儀式の如く捉へる。この樣な実際的現実的なる戦争を、ニーチェがどの程度考えていたのか、それが測れて居ないのである。

先に、竹山の問題提起に觸れた。つまり、ニーチェ謂ふ所の戰爭とは高貴な意義におけるそれであるのかそれとも現実におけるそれであるのか。ユンガーを通してニーチェを見るものにとりては、このような問題は存在しない。なぜならば、実際の戰爭をしていかに「高貴な意義」を実現するか、これがユンガーにおける問題であつたからだ。ユンガーを介してニーチェを読むことは、ニーチェ思想に内蔵される現実性をいかに引き出すか、といふことにならう。(それがユンガー思想にどれだけ近接するか、は勿論問題となりうる。)

因みに、ユンガーがナチ的であるか否かは微妙な問題である。少なくとも、ナチスに批判的でありつつ保守革命を進めた人物、とは言ひ得る。(ドイツのヹルト紙がユンガーの死を報じ特集を組んだ際、ナチスとの関係において強調されていたのはユンガーがナチス議席を拒絶した、という点である。このことは、例えばシュピーゲル紙がハイデガーの死を伝える際にナチスとの関係をスキャンダラスに報じたのとは見事に対照をなす。)

また、先に挙げたニーチェ遺稿集『生成の無垢』編纂者であるアルフレート・ボイムラーはナチス体制にて国民教育を担当した哲学者・教育学者である。(こちらは特に訃報等調べてはいないが、ウィキペディアにおける記事を見ると、 “[Er] war ein deutscher Philosoph und Paedagoge. Er spielte eine fuehrende Rolle bei der Gestaltung der Erziehung im Nationalsozialismus.”と先づ紹介されており、疑問の余地なくナチス側の人間であると判断されている。)ボイムラーは1931年に書かれたその著『ニーチェ』において、ニーチェ思想を政治と哲学との両面において捉へる。彼にとってはニーチェはある種の政治感覚に秀でた人物であり、彼の著作活動は、現実における受容を常に意識したいはば仮面であり、遺稿が示す思想像とは対照を成している。その意味で、ボイムラーの提示するニーチェ像はニーチェの志向した現実を測る際にも資する所あるかもしれない。

初めに立てた問ひは、「目的は手段を神聖ならしむるか」であつた。私はこの問ひを目的による手段の罪責減免何如としては一切理解する気がない。問題は寧ろ「神聖なる手段」とは何かである。ニーチェに即して言へば「よき戦争」とは何か。ここに、「よし」と言う為には、何が良く何が悪しきかを定むる尺度がそもそも必要である。そして手段について考ふるためには常に目的との対で考えねばならない。それは冒頭に引用したツァラトゥストアの発言についても妥当する。戦争には常に理念が有らねばならない。そのことは、大義がなければ戦争を起こすことが許されない、といつた事とは別の次元において考ふる必要がある。理念がなければ勝利すらもないが、勝利のない戦争などもはや戦争の名に價しないのだ。そしてツァラトゥストラによれば、勇敢であることこそ良くあるのことである。( „Tapfer sein ist gut“ )

「よき大義は戦争をすらも神聖化す。」注意深く読めばツァラトゥストラは、こういった言明を否定しているわけではない。ツァラトゥストラは、戦士言ふ所の戦争観を言ひ換へているに過ぎない。「よき戦争こそが在り、それがいかなる大義であれ神聖化する。」ツァラトゥストラの発言は要するに、勇敢なる戦士の行為としての戦争有る所、神聖なる大義有り、と言ふて居るのだ。そして勇敢に行為するためにはその行為が神聖であればこそなのだと考へば、ツァラトゥストラの発言が循環を成していることが分かる。この循環を改めて、「目的は手段を神聖ならしむるか」といふ問ひに巡らせること。それがまだ見ぬ本論の目的である。