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escargologie

大阪府箕面市のシェア・フラット「田田庵」のブログ。

原発と放射線について、躊躇いながら、語る(序文的ななにか)

ユウタ 3.21 政治 言葉/対話 原発/放射能

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原子力発電所放射能について語ることは難しい。それらについて語るとき、ぼくはいつもどこかに躊躇いを覚えている。原発放射能については、あまりにも多くの言説が飛び交い、それらが混ざり合って、ほとんどノイズと区別がつかなくなることすらある。もちろんその中で、まさにノイズと呼ばれるジャンルの「曲」の中でハッとするような音の繋がり(あるいは断絶)に魅せられるように、ハッとするような言説に出会うこともある。けれども「ノイズ」の渦巻く空間のどこにそれを位置づけたらいいのか、なかなかうまくいかない。うっかり乱暴な音を立ててしまうことはしたくない。それを避けながら、躊躇いながら、語るということには、きっと意味はある。けれども躊躇いすぎても、きっといけない……。だからぼくは、躊躇いを抱きながらも、その躊躇いが設けようとする境界を、すこし乗り越えようとしながら、語ることにしたい。

このブログにも、原子力発電所放射能についての記事を投稿するつもりだ。そしてそれは、ほとんどインショーだとか憶測だとかに基づいているものかもしれない。もっと詳しく報告書なり論文なりを調べて書くのが筋だろうが、そんなことを云っていたら、きっといつまでも書かないか、すくなくとも機をすっかり逸してしまうことになるだろう。だから、とりあえず書き始めるということになるのだろうけれど、かならずしもしっかりと確証をもって書くわけではないから、鵜呑みにはしないで欲しい。もしかしたらぼくの書いたものを読んだだれかが、なにかを考える材料にしてくれるかもしれない。そういうつもりで、無責任にとは云いたくないけれど、なかば投げっぱなしの文章として書く。受け取りやすい弧をイメージしながら投げるけれども、残念ながら、ぼくは球技が苦手である。だから、ずいぶんと受け取りにくい位置に球を投げてしまうかもしれない。それでも受け取ってやるという人がいれば、そしてもちろん、ぼくに球を、その球がどんな形をしていて、どんな軌道を描くものであろうと、投げ返してくれる人がいれば、それはまったく幸いなことである。

幸いなことはすでにある。ぼくの周りにはそんな不確かな文章を叩き台として、一緒に考えていけるかもしれないと、思える人たちがたくさんいるということだ。そして、ぼくの知らないところにも、同じような人たちがきっといると、そう思える。だからぼくは、躊躇いながらも、投稿ボタンをクリックするだろう。

(ユウタ 3.21)

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